マニアック プロフィール

1969年10月5日 東京都練馬区生まれ。生後半年程で神戸市に移住。
幼少期は両親が営むコロッケ屋(春先には いかなご釘煮屋)の店先の道路一面にチョーク片手に一日中絵を描いていて、将来は画家にと期待をもたせる。(河村家は美術家が多く、祖父、叔父2人が画家)
少年期に入ると、もっぱら野球に明け暮れ、神戸市立板宿小学校少年野球チームで4番セカンドをつとめる。
勿論野球で阪神タイガースに入団を夢見ていたのだが、小6の時、4歳年上の兄、直樹が入っていた高校の軽音楽部の演奏(ポートピア81のイベントでチャックマンジョーネのFEELS SO GOOD)を聞いてなんていい曲なんだ、と子供ながら感動してしまい音楽(jazz)に興味をもつ。そして神戸市立飛松中学入学。部活動は野球部かブラスバンド部か迷ったあげく、後者を選択。兄がトランペットだったので、違う楽器がやりたくて、当時TVコマーシャルで渡辺貞夫さんがよく出ていた影響もありアルトサックスを希望。顧問の先生にもう買ったと嘘をつき無理やりサックスパートに。
しかしやはり入ったものの野球の夢捨てれずの中途半端な時期を過ごす。そうしているうちに、兄は大阪音楽大学に進み、Daion Jazz Orhestraに入部。その定期演奏会を聞きにいく事に。そこで目にしたのは、そのDJO主任のサックス奏者 赤松二郎氏だった。その演奏に体に稲妻が走り、その日よりプロミュージシャンになる事を決意。部活でもDJOの真似事ばかりし、カウントベイシーや、グレンミラー、渡辺貞夫などをよく聞く様になる。はじめて買ったジャズのレコードはブランフォード マルサリスのデビューアルバムで、わかった振りして聞いていた。
高校は吹奏楽がやりたかったので公立高校(兵庫県立須磨友が丘高校)へ。そして兄と同じ大阪音大を目指すべくレッスンに通いだす。最初に就いたのは赤松先生の1番弟子の飯守伸二さんでした。この方はクラシック畑の方だとばかり思っていたのだが、実はジャズもお好きでジョンコルトレーンの名盤 バラードのレコードをお借りしたりしました。勿論クラシックを基礎からみっちり教えて頂きました。そして3年になると憧れだった赤松二郎先生にレッスンを受け始める。赤松先生には初めてジャズという音楽もレッスンして頂きました。そして受験へ。頭が悪かったので英語のテストが全く出来ず、4年制に落ちてしまい、なんとか短大の方に受かる。入学前からDJOに入部。先輩方は兄が先輩だから、なかなか僕を「河村!」と呼びにくかったみたいで、もう既にチャーリーパーカーの練習をしていた事も知られており、僕の事をチャーリーと呼ぶようになる。これが未だに関西を中心にチャーリーと呼ばれる由縁です。今になってみるとあまりにも偉大な名前なのと、本名で呼ばれたい願望があるのとで、かなり嫌なのだが、もう半分諦めています。
短大から4年制学部への編入に成功。この時短大卒業演奏会に出演する。(満員のオペラハウスにて無伴奏独奏曲を吹く)この編入に向けては、生涯1,2を争う練習量だったでしょうか。そして4年になるとDJOのバンドマスターに就任する。この時、偉そうに改革と題して、あまりやる気のないメンバーを退部に追い込んだりいてしまう。これを今でも後悔している。なぜ皆楽しくジャズを演奏させてあげれなかったかと。だからこの1年はあまり思い出したくない過去です。
そして4年生の大晦日にトロンボーン先輩 橋本佳明さんのお誘いを受け、HUMAN SOULというバンドのライブに初めて参加する。 続く・・